悪魔がバスク美女を落とせなかった理由
日本代表MF久保建英(21歳)がスペイン、レアル・ソシエダに移籍した。
レアル・ソシエダはスペインの北にあるバスクの名門クラブで、80年代までは”純血主義”を誇っていた。バスク人、もしくはバスク出身の選手しかプレーできなかったのである。今も生え抜き選手が多く、地元色が強いクラブと言えるだろう。
久保はバスクで愛されるのだろうか?
1970年代まで、バスクはスペインの軍事独裁体制の中で様々な弾圧を受けてきた。政治的にはテロ組織集団ETA(バスクの祖国と自由)が闘争を繰り広げるなど、物騒な時代もあったが、その中で独自の言語や文化を構築してきた。
そこでサッカーはバスクの民族アイデンティを主張できる貴重なツールだったと言える。レアル・ソシエダ、アスレティック・ビルバオの二強は特にバスクを象徴し、覇権を競った。
バスク人は古くは山岳地帯に盤踞(ばんきょ)し、ローマ帝国やイスラム勢力にも抵抗を続け、文化的に侵略されることは久しくなかった。スペインのあるイベリア半島では一番、長身大柄な民族でフィジカル的に優れ、実直で不屈な戦士を生み出してきた。いつもは温厚なのだが、闘争心や独立心は旺盛だった。
民族的に独自性を保ってきたという点で、スペイン国内でも異色な存在である。そもそも、バスク語はスペイン語などのラテン語系統とは文法的に真逆で、何のかかわりもない。悪魔がバスク人美女をたぶらかそうとして、7年かかっても言葉が通じないため、渋々諦めたという言い伝えは有名である。
また、スポーツ精神が日々の生活と結びついており、地域伝統スポーツの多くは、従事してきた仕事に起源がある。丸太斧切り、石持ち上げ競技は建築業、ボート競技は漁業、芝生刈り競争は農業、牛乳瓶走は畜産業。バスク人はスポーツとさえ認識せず、そうやって日常的に競い合い、楽しんできたのだ。