14歳のときは“敵”と認識していた山下達郎
セス・スティーブンス・ダヴィドウィッツという、声に出して読みたくなる名のアメリカ人データサイエンティストが、Spotifyのビッグデータをもとにおこなった調査によると、男性は平均14歳の頃、女性は平均13歳の頃に聴いていた曲が、その後の音楽の好みを決定づけているという。
2018年にこの調査結果がニューヨークタイムズ紙で公開されると、日本でも大きな話題となった。
僕もその記事を目にしたときは「まさにソレ!」と膝を打ったものだ。
いまだに一人で車を運転するときなんかは、中学生の頃に傾倒していたパンクロックを大音量で聴きながら絶叫したりすることがある僕も、決して異常者ではないということだ。
1969年生まれの僕が14歳だったのは1983〜1984年。
当時の僕はといえば、いま振り返ってみると本当に立派な厨二病だった。
音楽を聴くのが大好きだったのだが、ヒットチャートにのぼるようなメジャーなアーティストの曲なんてクソ喰らえと思い、マイナーなパンクやハードコア、ニューウェーブ、ポストパンク系の曲ばかりを好んで聴いていた。
その頃の僕のお気に入りミュージシャンを、邦楽・洋楽取り混ぜて挙げてみよう。
RCサクセションやカルチャークラブ、デュランデュランなんかはメジャーだが、ザ・スターリン、スタークラブ、アナーキー、INU、G.I.S.M.、エクスキュート、P.I.L.、バウハウス、アダム&ジ・アンツ、ディスチャージ、頭脳警察、プラスチックス、メロン、ヒカシュー、その他の名もなきインディーズバンドたち……。
このラインナップを見れば、当時の僕がどんな中学生だったか、わかる人にはわかってもらえるだろう。
一方、その頃から山下達郎はすでに超人気アーティストだった。
リッチで透明感のある伸びやかな達郎サウンドは、経済成長著しく、バブルへ向かってぐんぐん伸びていく“ジャパン・アズ・ナンバーワン”な当時の日本の高揚した空気感と、見事にマッチしていたのだと思う。
だがパンクスに憧れていた僕にとっては、その存在感も音楽的特質もまさにメジャーだった山下達郎のことは、はっきり“敵”と認識していた。
親の庇護のもとで何ひとつ不自由のない生活をしているくせに妙にひねくれていて、大人が眉をひそめるような過激な歌詞やサウンドのパンクや、ひねりにひねったサウンドを奏でるニューウェーブが至上のものと思っていた僕は、耳触りの良い山下達郎サウンドが、なんだか嘘っぽく聞こえてしょうがなかったのだ。