コンピュータもフォトショップもない時代の熱い手作業

「僕たちはいつも自分たちに言い聞かせてきた。自分たちの作品は音楽そのものに匹敵するようなアートだって。音楽による聴覚的な経験と同じくらい、芸術的な価値のある視覚的な経験を創造することを常に考えてきた」(ストーム・トーガソン)

バンドの写真をカバーにするというお決まりのやり方を避けたからこそ、革新的にもなった。まずは手掛けるアーティストの音楽を聴いて歌詞を読んだ後、二人でアイデアを交換して練り上げていく。

それが固まるとスケッチに起こしていく。次に二人とも絵が下手だったので、友人のイラストレーターに頼んで描き出してもらう。そしてアーティスト側へ説明し、正式に話が決まればスケッチに基づいて本物の制作に取り掛かる。

「バンド名もなし、牛がいるだけのジャケットでどうやってレコードを売るんだ!?」〈ジャケ買い〉を生んだ伝説のデザイン集団『ヒプノシス』、コンピュータもフォトショもない時代の熱い手作業_2

写真素材がほとんどだったので、いろんなロケ地へ撮影しに行くといった流れだ。それはコンピュータもフォトショップもない時代の熱い手作業だった。

ほぼ毎日のように新しいプロジェクトが現れた。仕事を探す必要などがなかった。彼らのスタジオには、バンド、マネージャー、画家、イラストレーター、クリエーターなどが頻繁に出入りし、ポップカルチャーの中に高くそびえ立っていた。

レコード会社に縛られない力を持ち始めたアーティストたちは、彼らに自家用機、スタジオ、自宅、舞台裏など、本来は禁止されていた場所での撮影を喜んで提供するようになった。

激動の60年代後半から70年代前半の真のロック黄金期。そして巨大化と商業化していく70年代。膨大な予算と創造的な自由が、ヒプノシスを更なる成功に導いた。