「テレビゲームができる家でみんなでテレビゲームをしていた」
小林社長は1971年5月生まれの52歳。小学校に上がる前の1976年に創業家四代目社長となった父、一雅氏(現会長)が率いた時期に小林製薬は次々とヒット商品を出し、知名度を上げた。
東映の任侠映画の看板女優として名をはせていた寺島純子(富司純子)をCMキャラクターに起用したトイレ芳香剤「サワデー」は大ヒット。「“トイレにサワデー、さわやかサワデー♪”というCMのメロディーは50代以上の人なら今でも耳に残っているんじゃないですか」と、小林社長と同世代の関西出身の記者は振り返る。
当時、兵庫県宝塚市に住んでいた小林社長はその有名すぎるヒット商品とCMが災いし、小学校の級友らから「さわやかサワデー」と冷やかされたといい、「これは嫌でしたね」と2017年に産経新聞の取材で語っている。
「ほかにも、舞妓さんが素足を出して『うちの水虫さん、日本うまれやし~』とエモくほほ笑む水虫薬タムシチンキや、『アンメルツ、よこよこ!』と威勢のいいメロディーの肩凝り用医薬品など、印象深いCMもあって、万人が知っている商品が小林製薬には多いですね。
早見優や水野真紀、小川範子といった清純派アイドルから、塩沢とき、漫才師の今くるよなど、時代の人気者をCMに起用する宣伝も上手でした」と前出の記者は話す。
小林社長は中学からは慶応中等部に進学し、一雅氏が東京で使うマンションで一人暮らしをしたという。
中等部の同級生の親族の一人は「息子が仲良くしていたので知っていますが、優しい子といった印象しかありませんね。当時は自分が前に出るのではなく物静かなおとなしいタイプの子でした」と青年期の印象を話す。
当時の東京暮らしについては「しょっちゅう友人が集まってにぎやかで、寂しい思いをしたことはありません」と小林社長は産経新聞の取材で話している。別の同級生の関係者は「テレビゲームができる家で、みんなでテレビゲームをしていたようです」と証言。マンションは港区の白金台にあり、当時は芸能人も多く住む高級マンションとして知られていた。
そのお坊っちゃんぶりは半端ではないようにも見えるが、当時を知る人によれば、それとは違った面もうかがわせている。
「東京ではお手伝いさんとともに生活していました。お父さまはふだんは関西で、ときどきは来ていたようでしたが、そういう意味では寂しい思いもしていたかもしれませんね。
小林くんのお父様は父兄会や授業参観があると東京に来ていて何回かお会いしましたが、最初はあんな大きな会社の社長とは思えないような、どちらかというとサラリーマンという感じの方に見えました」(中等部の同級生の親族)