ダイエー・中内㓛の「仕方のない状況は変える」経営
この「状況を受け入れる」態度は、先のダイエー・中内と比較するとおもしろいぐらいに対極的だ。
中内もダイエーを大きくするまでは、取引先からの冷遇を受けていた。例えば、松下電器(現・パナソニック)との取引でのこと。ダイエーは松下電器の製品を、提示した許容範囲を大きく下回る金額で販売した。そのため、松下電器はダイエーへの商品出荷を停止。これに対しダイエーは松下電器を相手取り、訴訟を起こす。いわゆる「ダイエー・松下戦争」の勃発であった。
常に中内は、取引先に対して、好戦的な態度を取り続けた。他のスーパーマーケットとの出店競争に、それぞれ「戦争」という名称が付いていることがそれをよく表している(赤羽戦争や津田沼戦争、藤沢戦争など)。当時、大手スーパーチェーンだったイトーヨーカドーや西友と苛烈な出店争いを繰り広げたのだ(佐野眞一『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』、中内㓛『わが安売り哲学』)。
中内の人生を見ていくと、そこには「闘争」や「戦い」、さらには「革命」という文字が並ぶ。食うか食われるか。中内の発想の根底には、そんな思考が流れていた。矢野のスタンスが「仕方のない状況から始める」ことだとすれば、中内のスタンスは「仕方のない状況を変える」ことにあったのだ。
「仕方のない状況を受け入れる」経営で、日本の企業を見る
一方で矢野には(仕事においては、これほどまでに熱意を持った人はいなかったと評されるが)、そのような好戦的な側面は見られない。どちらかと言えば、戦いを避けながら、飄々とビジネスの海を漂っている。
先ほどダイエーが出店にあたって、さまざまな地域で「戦争」を繰り広げていた、と書いたが、こうした出店戦略においても、ダイエーとダイソーは対照的だ。
ダイソーは、ショッピングモールやスーパーマーケットの一画に店舗を構えることも多く、他を潰して領土を確保するというよりも、共存しながらその領土をジリジリと拡大してきた。もちろん、ダイソーはそのようなことがしやすい業態だということもある。しかし、そもそも100円ショップという、ある種の「スキマ」業態を選んだこと自体にも、矢野の特徴が現れているのではないか。
デフレの影響や商品開発力の凄みなど、100円ショップが躍進を遂げた理由にはさまざまなものがあると思うが、その理由の一つにこうした、柔軟な出店戦略があっただろう。
その意味でも、矢野の「状況を受け入れる」経営は、結果的とはいえ、その成長に与した側面がある。
実はこうした矢野の経営スタイルは、少数ながら他の経営者にも見られる特徴である。その代表例が、ドン・キホーテで有名なPPIHを創業した安田隆夫だ。
安田の自伝によれば、ドンキの大きな特徴ともいえるPOPの洪水や、商品をジャングルのようにぎっしりと棚に詰めこんだ圧縮陳列は、開業当初あまりにも商品が売れないことから考え出された「苦肉の策」で、仕方なく始めたことが語られている。それが結果的には既存の小売に対する「逆張り」になり、今ではドンキは日本を代表する小売企業へと進化した。
この例からもわかるように、矢野の持つ「仕方のない状況を受け入れる」経営スタイルは、日本の小売業界のある側面を語るときに、非常に興味深い論点なのである。
文/谷頭和希