日本国内で次々発生「アベック失踪事件」
富貴恵さんを思想教育するために学校に入学させるという計画はなぜ、立ち消えになったのか。保志さんは、日本政府の聞き取り調査に対して、次のように証言している。
「拉致直後の1979年1月ごろ、自分たちは学校に送られて、工作員としての教育を受けるということだった。短期の訓練で日本に送り返すということかと思った。しかし、4月ごろになり、その話が突然取りやめになった。日本国内で自分たちの失踪が問題となり、工作員として使えなくなってしまったらしい」
福井県小浜市で保志さんと富貴恵さんが連れ去られた1978年7月は、新潟県柏崎市で蓮池薫さんと祐木子さんが、8月には鹿児島県日置郡(当時)で市川修一さんと増元るみ子さんが拉致されている。この3件の事件直後には、富山県高岡市で海水浴から戻る途中だった20代のカップルが複数の男に襲われる事件も起きた。
2人はさるぐつわをされるなど身体を拘束されて袋に入れられたが、たまたま近所の人が通りかかったことから犯行グループが逃走。事件は未遂に終わっている。当時の警察は捜査により、さるぐつわに使われたゴムが国内メーカー製ではないことや、2人を襲った男たちの話し方などから、犯人は日本人ではないと判断していた。警察当局では当時、この事件や3件の「アベック失踪事件」は、北朝鮮の工作機関が関与しているのではないかとの疑いを持っていた。
一方、1977年11月10日付の朝日新聞朝刊の社会面には、約2カ月前に石川県能都町(現・能登町)の宇出津海岸で失踪した東京都三鷹市役所の警備員、久米裕さんについて、次のような記事が載った。当時からすでに、失踪事案に北朝鮮の関与を疑う報道があったのだ。こうしたことはあまり知られていないが、大事なことなのでほぼ全文を紹介する。久米さんは後に、政府により拉致被害者に認定された。