コンクールに出ない吹奏楽部
内田 実は私、とある私立校の吹奏楽部を訪問したことがあって。その部活が、ある意味においては、半地下合唱団とよく似ていたんです。七人でやっているとかじゃない吹奏楽部なんだけど、コンクールに一回も出たことがないというんです。大会に出るのが当たり前だとほとんどの学校が思っている中で、どうやって成り立つのと思っていたんですが、そこの先生は「みんなそんなコンクール出ているの?」って。反抗心があるわけでもなく、「定期演奏会と、地域の行事で演奏を発表する機会はあるから」という感覚で、コンクールで勝ち上がっていくモデルがないんですよね。
額賀 別にその先生も反コンクール主義でやっているわけじゃないんですね。
内田 そういうわけではなく、単にずっとコンクールに出ていないだけ。それで部活がずっとまわってきたんですね。コンクールに出ないまま、基本的に生徒が主体で、練習メニューとかも生徒が考えてやっているみたいです。生徒が中心に活動するということをメインにしているので、週五日という活動でもない。だから、あり得るんですよね、現実に既にそういった学校というのは。
額賀 やれるということですよね、今の学校で。
内田 そうそう、あるんです。その吹奏楽部をもっと大々的に報じたいと私は思っているんだけど。
額賀 大々的に取り上げられてほしいですね。ニュースやワイドショーなんかでドカンと。
内田 でも、その学校、今まで取材一回も来たことないって。そりゃそうだよね、コンクールに出てないし。でも、むしろそれは可能性があるなという感じですね。
額賀 私も以前、ある学校の吹奏楽部を取材したことがあるんですが、その学校は進学校だったんです。公立なので予算も多くなく、でもそれなりに練習はしていて。そこの先生は、生徒の全国大会に行きたいという思いと、受験勉強を頑張りたいという二つの思いをどちらも理解しているから、吹奏楽だけを突き詰めればもっと上を目指すことができるけれど、この子たちの無理ない範囲でできるマックスを突き詰めることに意味があるだろうと言って活動されていて。
内田 すばらしいですね。
額賀 私はすごくそれに感銘を受けて。全国大会で金賞を取ろうという目標ではなく、あくまでこの環境でのマックスを先生が考えて、生徒たちも納得してやっているという活動の仕方は、ブラック部活の代表として挙げられがちな吹奏楽部がブラックにならない一つの方法かもしれないと思いました。
内田 だから、上限枠を設けるということは大事なんですよね。さきほどの私立校も、校長が「部活は週三日以上やるな」と言っているんです。そうすると、生徒はその中でどう勝つか、どう楽しむかというのを考え始めます。部活の場合には、上限枠があるなかでどう楽しむかという発想が必要なんですね。今はそれがないから、日本的発想で、たくさんやれば上手くなるんだと考えてしまう。
額賀 どこまで勝ち進んだとか、優勝したとか、勝利主義ではない物差しを、部活は獲得していかなきゃいけないのかもしれないですね。
今は、保護者・卒業生・地域住民を含め、応援している側も、なかなか勝利数以外の物差しで部活を見てあげられていないと思います。例えば、甲子園出場のかかった県大会決勝でエースピッチャーを温存して敗退してしまい、学校にものすごい数のクレームが来た、ということもあったじゃないですか。学校は社会の声の影響をすごく受けるので、当事者だけでなく、社会全体で部活動に対する認識を改めなければとつくづく思うんですけど、それが私ごときの小説でどう訴えられるのかと思っていて。
内田 その意味では本当に『ラベンダーとソプラノ』は最先端だと思います。さっきの話だと、甲子園の出場校は私立校がほとんどなんですね。ほかの競技もそうですが、私立校の割合がどんどん大きくなって、推薦で有望な生徒を集めた学校が勝つ。それはそれで、スポーツに全力をかけたい人に向けた活動としてあって良いけれど、一般的な部活に向けた別の道をちゃんと確保しておかないといけないと思いますね。
【後編に続く】
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