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これは「作り話」ではないという紫式部の気持ち

『源氏物語』はフィクションです。

が、物凄くリアリティを大事にしているフィクションです。と言うと、そうなの?と意外に思う人もいるかもしれません。

『源氏物語』の主人公って〝光る源氏〞でしょ?光るほどイケメンてことでしょ?しかも天皇の皇子で、たくさんの女と関係する。超絶イケメンの貴公子のモテ話でしょ?まぁイケメンのボンボンがモテるのはリアルと言ったらリアルだけれど、あまりにデキ過ぎていて、夢物語というか、フィクションの権化という気もするよね、と……。

違うんです。

源氏はたしかにイケメンですが、年も取るし失敗もする。

そもそも作者の紫式部が、リアリティを目指し、リアリティを大切にしているんです。

物語は、しょっぱなから、源氏が人妻の空蟬に逃げられ(最初はいきなり寝所に侵入し関係を結ぶことに成功するんですが、それ以降は応じてもらえない)、親友の妻の一人だった夕顔を変死させてしまうという、源氏にとって不名誉なエピソードを綴っている。そのあと、作者はこう断っています。

「この子が男の子でなかったのは不運」と親に嘆かれた稀代の秀才・紫式部が『源氏物語』に込めたリアリティとは_1
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「こういうくだくだしいことは、源氏の君がひたすら人目を気にして隠していらしたのもお気の毒なので、すべて書くのを控えていたのですが、『なんでミカドの皇子だからといって、間近でつき合っていた人までが完全無欠みたいに褒めてばかりいるのだ』と、〝作り事〞(作り話)のように決めつける人がいらしたので書いたのです」(「夕顔」巻)

紫式部は、「この話を作り話だと思ってもらっては困る」と思って、そう見えない物語作りに腐心していたのです。

これは、人妻の空蟬との交流という、源氏の恋愛話が初めて具体的に描かれる「帚木」巻の冒頭に、

「〝光る源氏〞と名ばかりご大層ですが、実はその名を打ち消すような失敗も多いようです」

と、作者が書いていたことに呼応しています。

紫式部はかつてない新しい物語、スーパーマンとしての〝光る源氏〞ではなく、失敗もする生身の人間としての源氏を、実録風に紡ぎだそうとしていたのです。

『源氏物語』はフィクションだけれど、従来の作り話とはまったく違う、人間界の現実を描くことを目指していたわけです。