生きる道を見つけた直後の事故
小学校低学年のころに両親が離婚。その後、家に出入りするようになった男性からタバコの火を腕に押しつけられるなど日常的な暴力を受けていた。抵抗しても子供の力ではかなうはずもなく、行きどころのない悔しさや怒りを筋トレにぶつけるようになった。
「小学校にあったプッシュアップバーで、毎日300回腕立て伏せをしていました。小学4年生くらいから学校にもほとんど行かなかった。暴走族の人に居酒屋につれていってもらうとか、そんな悪いことばっかりしていました」
体格のよさから、喧嘩の応援に駆り出されることも多かった。そんな日々を過ごすなかで、出会ったのがボクシングだった。
「18歳のときかな、仲間たちから『悟史がボクシングやってるの見てーわ』って言われて。ボクシングジムに入って、その日から毎日10〜20キロのランニングとダッシュ10本をルーティーンにしました」
ボクシングジムに入ってすぐ、試合に出るはずだった選手がケガで欠場することに。その代わりとして、ウェイトが一緒だった関根さんが急遽試合に出場することになった。
試合出場の3ヶ月前にプロ試験を受けて一発合格。その後はスーパーバンダム級の大会で2戦2勝。好成績を残し、新人王のトーナメント出場が決まっていた。
「初めての試合は後楽園。会場の熱気がすごかった。ライトがめちゃめちゃ当たるから、暑くて頭がぼーっとしちゃうくらい。でも試合が始まると汗が抜けて、感覚が研ぎ澄まされていくんですよ」
「当時から、自分は人に注目される人間だって思いがすごくあって。承認欲求も強いんですかね。試合に出るのが楽しかった」
自分の居場所を見つけた。そんなふうに思えるようになった最中に起きたのが、交通事故。19歳のときだった。
ボクシングの練習に向かうためバイクに乗っていた関根さんを、一時停止を無視したトラックがはねた。