日本にはまだこんなところがあるんだな……と感動した丹厳洞
以降はネット情報の受け売りだが、福井市加茂河原にある丹厳洞とは、江戸時代後期の弘化3年(1846)に、福井藩医山本瑞庵が別荘として建てた草庵。
徳川家慶の従弟で、幕末四賢侯の一人と謳われた福井藩16代藩主・松平春嶽をはじめ、横井小楠(熊本藩士)、橋本左内(福井藩士)、中根雪江(福井藩士)など幕末の有力な志士がここを訪れ、密議を凝らしたのだそうだ。
坂本龍馬と由利公正(福井藩士)の会見記録もあるという。
現在、丹厳洞は料亭となっていて、歴史を感じながら食事を楽しみ、敷地内に残る草庵なども見学できるようになっている。
また敷地内には、福井が誇る石材である笏谷石(しゃくだにいし)の石切り場跡が残っているほか、敷石や橋にもふんだんに笏谷石が使われていて、そこも見どころなのだとか。
そんな前情報を到着した現場の駐車場で緊急取得してから、僕は丹厳洞の入り口に赴いた。
しかし、チケット売り場的なものが見当たらない。
開いた門から中を見通すことはできるが、チェーンがかかっていて中に入ることは許されていないようだ。
観光シーズンでもない11月の平日午後。見物客のために一般開放はされておらず、料亭利用客のみしか入れないようになっているのかもしれない。
がっくりきた僕が諦めきれずに入り口付近をうろうろしていたら、奥のほうから一人の男性が歩み出てきた。
ダメ元で「今日は開いてないのですか?」と尋ねると、「ええ、そうです」とつれない返事。
これは仕方がないと諦め、車のほうに向かおうとすると、その方は僕を呼び止め、「もしかして、見学したいんですか?」と聞いてきた。
「はい」と答えると、なんと「じゃあ、いいですよ。どうぞ」と、おもむろに門のチェーンを外し、僕を中に招き入れてくれたのだ。
入場料は不要らしい。
あえて尋ねなかったが、その方はどうやら現在の丹厳洞の持ち主かご親族のようだった。
暗い石切り場や草庵に電気をつけてくれたうえ、敷地内の見どころを一通り解説してくれた。
そして「あとはどうぞご自由に見ていってください」と去っていったのだ。
なんという幸運だろう。
その後の僕は丹厳洞を独占し、ゆっくりと見学させてもらった。
そしてここは、掛け値なしで本当に素晴らしい場所だということを知った。
通り道に重厚な笏谷石が敷き詰められ、苔むした庭園は、上がったばかりの雨でしっとりと濡れ、とても美しかった。
石切り場の中に入ると、庭園の一角とは思えないような重々しい雰囲気で、ちょっとした冒険気分を味わえた。
そして草庵の中に入り、行燈の光に照らされた客間で座布団に座ったら、ここで日本の行く末を討議したであろう、幕末志士の気持ちの一端に触れたような気がした。
日本には、まだこんなところがあるんだな……。
これほど素晴らしい古刹が、ひっそりと存在していることが奇跡のように思えた。
もちろん丹厳洞は、ガイドブックにも載らないないような無名な場所ではないが、少なくとも全国規模で知られる観光地ではない。
関東住みの僕のような人間にとってはまさしく、何も予備知識がない穴場。
僕が求めているのは、こういうところなのだ。