プーチンとブリゴジン、その経歴の奇妙な符号

冷戦終了後の1991年に誕生した、ロシア連邦で初となる、武装反乱は、わずか1日で未遂に終わった。首謀者である民間軍事会社ワグネルの創設者、エフゲニー・プリゴジン氏に誤算があったのか。政権側と「取引」が成立したのか。誰と誰が対立しているのか。まだまだ謎は多い。

しかし、今回の武力反乱(本人は「正義の行進」としている)の根底に、プーチン大統領とプリゴジン氏の特別な朋友関係が横たわっていることを見逃してはならない。

ロシアの傭兵企業・ワグネルグループのプリゴジン氏(写真/共同通信社)
ロシアの傭兵企業・ワグネルグループのプリゴジン氏(写真/共同通信社)
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幼くして父を亡くしたプリゴジン氏は16歳で陸上競技専門の寄宿制学校を卒業後、サンクトペテルブルクの不良仲間に入る。ロシア独立系メディア「メドゥーサ」によると、1980年3月の夜、プリゴジン氏は3人の仲間と夜道を歩く一人の女性を襲った。背後から女性の首を羽交い締めにして意識を失わせ、金のイヤリングや靴を窃盗したのだ。その後もプリゴジン氏の狼藉は止まず、ついには強盗や詐欺などの罪で9年間の服役をする。

ソ連崩壊の直前の1990年、29歳で出所したプリゴジン氏はホットドッグ店を始め、大当たりをした。マクドナルドがモスクワに1号店をオープンさせて、ファストフードの時代が到来すると読んだのだ。共産党下のソ連でその利益は毎月千ドルにもなり、アパートの台所までもがルーブル札の山になったという。

ビジネスでの上昇志向と戦略性は時代の追い風を受け、90年代後半になるとさらに花開く。ロンドンのサヴォイ・ホテルから腕のよい料理人をヘッド・ハントしてオープンした高級レストランが大評判となり、有名人や政財界の大物も足繁く通うようになる。その中に当時、サンクトペテルブルグ副市長だったプーチン氏がいた。プリゴジン氏とプーチン大統領との特別な関係はこのレストランビジネスから始まったとされている。

パリで水上レストランが流行っていると聞きつけるや、さっそく水上レストランを地元でオープンさせ、ブッシュ米大統領やシラク仏大統領などを招き、やがてプリゴジン氏は「プーチンの料理人」と呼ばれるようになる。幼少期は悪童だったと告白するプーチン大統領は柔道のお蔭で道を誤らなかったとされるが、プリゴジン氏の場合は飲食業で「真っ当な社会人」となった。二人はどこか類似している。