気球撃墜までの舞台裏
日本の製薬企業北京駐在員が「反スパイ法」の容疑で、中国当局によって拘束されたのは今年3月末のこと。ただ、中国当局は日本に対して「自国民への教育と注意喚起を強化せよ」と注文をつけるだけで、駐在員がどのようなスパイ活動をしたのか、具体的なことは一切明らかにしていない。
日本には内閣調査室や公安調査庁といったインテリジェンス(諜報)情報を扱う機関はあるが、その規模はきわめて小さく、欧米や中国のように大規模かつ組織的なスパイ組織はない。そのため、駐在員が本当に諜報活動に従事していたかどうかの真偽はさておき、少なくとも日中間でのし烈なスパイ合戦は想定しづらいのが現実だろう。
ただ、アメリカと中国となると話は別だ。米中間では壮絶なインテリジェンス戦争が火花を散らしている。そのことを白日の下に晒してくれたのが中国「スパイ」気球事件だった。
まず、気球事件の経緯を整理しておこう。
正体不明の気球が米モンタナ州上空に飛来し、多くの市民が目撃したのは今年2月1日のことだった。気球の動画はネット上にアップされ、地元空港では万一のリスクに備えて飛行機が欠航するという騒ぎにもなった。
その後、気球は北米大陸を東南方向に移動し、ノースダコタ州、ワイオミング州上空などを通過した。モンタナからノースダコタ、ワイオミングというコースにはICBM(大陸間弾道弾)や核搭載戦略爆撃機などが配備された米軍基地が密集している。そのため、アメリカの多くの市民がこの気球はスパイ活動を目的として飛来したと信じることとなった。
このような見方を受け、ホワイトハウス内は慌ただしくなる。まずは気球の撃墜を検討するバイデン大統領と、民間人に危害が及ぶリスクがあるとして撃墜に慎重なオースティン国防長官、ミリー統合参謀本部議長らの意見対立が表面化した。
さらにはブリンケン国務長官が駐米中国臨時大使を呼び出し、撃墜の可能性を何度も通告するという騒ぎも起きた。米国務省が一度のみならず、数度にわたって通告を発したのは、米側がそれなりに中国に神経を使っていた証明でもある。スパイ気球をめぐり、ホワイトハウスが緊張に包まれた様子が伺える。
中国が反応したのはその2日後の2月3日のことだった。外務省が「民間の気象観測気球で、偏西風のために予定の飛行コースを外れた。不可抗力だった」と、気球が中国のものであることを認め、遺憾の意を表明したのだ。